Groove2号♪の日記

目指せ!毎日更新!を合言葉に、関西のインストバンド、Cross Pointのドラム担当Groove2号♪の毎日起こる事件を無理やり見せてしまうと言う超迷惑な一方的報告書である♪

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僕の阪神大震災

その日は確か3連休明けの火曜日の早朝でした。前の日まで須磨にあった『須磨荘』で泊まりで新年会をしていた僕は、テレビの『明石家電子台』に友達が出るというので、そのテレビを見ながら、新年会の寝不足がたたり、知らない間に眠っていました…。


当時一人暮らしで汚い文化住宅に住んでいた僕は突然、凄い音と凄い揺れに叩き起こされ、何が起こっているのか事態を把握できず、窓のエアコンが外に飛んで行った時に、地震が起こっている事を理解しました。ベッドに四つん這いになるのがやっとで、とても立つ事などできない大きな揺れの中、テレビが吹っ飛び、照明が吹っ飛び、自分の横の壁が明らかに曲がっています…。この壁が折れたら、自分は死ぬ…と直感的に思いました。


 かなり永く感じた大揺れも静まり、当時家から見る事ができた明石海峡大橋を見ると、まだ暗いはずなのに、薄明るく、大地がまるで呼吸しているように湯気が立ち上っていました…。 家にいると死ぬ…直感的に外に飛び出た僕は、あまりの寒さに、メチャクチャになった家の中から余震が続く中、いつ崩れるかわからない恐怖と闘いながら、車の鍵を捜しだし、隣の人と車の中でラジオを聞いていました。


初めは震度4の情報しかなかったんですが、自分の家の壊れ具合からして、明らかにモット大きいはずでした…。1時間程ラジオを聞いていましたが、情報が同じ事の繰り返しなんで、とりあえず実家が心配になり、20分程離れた実家に行くと、実家は無事でした。ただ停電していたので、情報はありませんでした…。


とりあえず、パジャマのまま実家の無事を確認し、すぐ近くにある僕の会社に行くと、電気も大丈夫でテレビが見れました…。テレビに写し出された光景と関テレの桑原アナウンサーのヘリからの中継は、信じられない内容でした…。


医薬品の会社に勤務し、当時須磨区と長田区の病院、医院を担当していた僕は、コレは大変な事になっているに違いないと思い、須磨駅の方に車で向かいましたが、大渋滞の為諦めて、実家に戻りバイクに乗り換え再度向かいました…。


目に飛び込んで来る光景は地獄です。途中何人かの人を建物の下から助けましたが、キリがありません。とりあえず、当時一番の得意先だった長田区の菅原市場近くの病院が気になったんで、行ってみてビックリ…停電で極寒の上、真っ暗な病院には、廊下にたくさんの動かない人が横たわっていました…。丸で野戦病院です。包帯、ギブス消毒剤何もかも足りません…。慌てて会社に戻り、倉庫にあるだけの医薬品をトラックに積み、白バイ2台に先導してもらい、届けました…。


それから毎日が地獄でした…。泣きながらこの中に人がいるから助けてくれ!と何度言われたかわかりません…。自分の無力さを思い知りました。皆必死でした。極限に近い状態で、自分の周りの人の嫌な部分や汚い部分、本音もわかり、嫌な思いもたくさんしました…。逆に予期せぬ人に助けてもらった事もありました。冬の間着ていたバイク用のジャンパーは火の粉で知らない間に無数の穴が空いていました…。


 4日ぶりに家に帰ると配管が割れ、家の中がメチャクチャのまま水浸していました…。大事なアルバムやレコード、色々な思い出や物がダメになってしまいました…。風呂は一部露天風呂です…。地震の前日に泊まっていた、『須磨荘』は跡形もなくメチャクチャに壊れていました…。壊れた『須磨荘』を見た時には、神様から生きろ!と言われた気がしました。もし1日地震が早ければ、確実に死んでいました…。誰が亡くなってもおかしくありませんでした…。


 あれから12年、早いような、永いような不思議な感覚です。毎年、切ない1月17日を過ごしています…。なんとなく、誰かに聞いて欲しくて今日のブログを書きました。年々風化して行ってますが、僕には一生忘れられない出来事です…。ホントはモットエグい、生々しい話もありますが、とても書けません…。地震で犠牲になられた方のご冥福を心よりお祈りします。

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